塩田山 能持院
(エンデンザン ノウジイン)

現在の能持院

宗派…曹洞宗
御本尊…釈迦牟尼仏
建立…1602年(慶長7年)
御開山…模堂永範大和尚
開基家…下野国芳賀郡茂木領主 茂木筑後守 也

歴史や由緒

茂木筑後守治良(はるよし・はるなが)は、慶長7年(1602)秋田に移封された佐竹氏に伴って秋田に移り、足田(たらだ)(現秋田県羽後町足田)に給田を得て、ここに旧領地茂木にあった塩田山 能持院(栃木県芳賀郡茂木町)から11世 華翁全圃大和尚を招き、新たに塩田山 能持院を開山し茂木氏の菩提寺とした。茂木氏は、浅舞城の守護、のちに横手城の城代格や北秋(大館市)の十二所の所預りとなって、寺領50石を与え、能持院を残したままこの地を離れるが、その後も足田に給田を持つ地頭であった。茂木治良は寛永11年(1634)に没し、横手市浅舞七日市の白鬚神社の境内に葬られた。能持院の境内には茂木氏三代(治貞、知恒、知量)の墓が残されている。

15世 月堂運渚大和尚代に火難のため諸堂旧記録を焼失し、20世 雷峯耕春大和尚代、元禄年間に再建。

明治11年(1878)年3月、再び火災となり、過去帳を残し焼失。明治14年(1881)旧山田村坊中にある白山神社の別当寺を移築。本堂並びに一部を庫裡として使用、従って一般的な曹洞宗寺院と大間の大きさは違うが、他宗の寺院を移築したためである。平成17年に本堂の柱と壁等の骨組み以外の大改修を行い、現在の形となる。現在住職で36代目。